みどころ

第1章 九州初個展と板画の旅記

昭和29年(1954)に小倉井筒屋で開催された棟方志功の九州初となる個展と、このとき九州を巡った 旅の足跡をご紹介します。

「棟方志功芸業展」ポスター

「棟方志功芸業展」ポスター
昭和29年(1954)
個人蔵

棟方らしい女性像が描かれた小倉井筒屋会場のポスターです。1月12日~1月17日までの6日間開催されました。この個展開催の準備は、関門民芸会の浦橋七郎、劉寒吉、佐藤治、関門民芸会の会員で安川電機社員でもある村上伊三郎や大木澄爾らが協力して進めました。この個展は下関大丸、大牟田松屋、福岡岩田屋にも巡回しています。

福田屋鶴の子(茶碗)初公開

福田屋鶴の子(茶碗)初公開
昭和33年(1958)
いのちのたび博物館蔵

福田屋は江戸時代から続く和菓子屋で、北九州・小倉にありましたが、昭和52年(1977)に閉店しました。これらは福田屋の主人奥井忠孝のために棟方が描いたものです。福田屋の銘菓「鶴の子」は、白餡を落雁状のもので包んだ卵形の打菓子(うちがし)でした。

板画の旅記 溶鉱炉火噴の柵

板画の旅記 溶鉱炉火噴の柵
昭和29年(1954)
棟方志功記念館蔵

棟方は、昭和29年(1954)1月3日から17日にかけて、北部九州と松江を巡りました。この旅の紀行文と版画は「板画の旅記」として、同年2月、朝日新聞に7回にわたって連載されました。
本図は東田第一高炉跡を山手から見た風景かと思われます。八幡を訪れた棟方は八幡製鉄所の広さ、煙突から立ち上る7色の煙などに驚嘆しています。

第2章 九州発!海道の旅

棟方志功が安川電機と二人三脚で制作した、安川電機所蔵の海道シリーズ全65点を公開します。一堂に展示されるのは29年ぶりです。

西海道棟方板画 安川電機本社の柵

西海道棟方板画 安川電機本社の柵
(福岡県北九州市八幡西区)
昭和45年(1970)
安川電機蔵

昭和29年(1954)に完成した北九州市八幡西区黒崎にある安川電機本社はアントニン・レーモンドの設計で、施工は大林組でした。平成27年(2015)に建替えられましたが、その一部が今も残っています。棟方はここから九州の旅を始めました。

続西海道棟方板画 磐戸神楽(いわとかぐら)の柵

続西海道棟方板画 磐戸神楽(いわとかぐら)の柵
(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三井田)
昭和46年(1971)
安川電機蔵

棟方一行は、高千穂神社で夜神楽33番のうち、天の岩戸に隠れた天照大神(アマテラスオオミカミ)を天宇受売命(アメノウズメノミコト)が誘い出し、手刀雄命(タヂカラオノミコト)が岩戸から引き出す天の岩戸開きの場面を見ています。版画には天宇受売命と手刀雄命、そして篝火(かがりび)が表されています。

南海道棟方板画 宮内媼(おうな)人形の柵

南海道棟方板画 宮内媼(おうな)人形の柵
(香川県高松市栗林町)
昭和47年(1972)
安川電機蔵

宮内フサは張子人形の作り手で4才頃から人形作りをはじめました。棟方は南海道の旅の最後に、88歳になっても人形作りをするフサに出会い、その姿に感動しました。版画では、フサの作る「奉公さん人形」と宝槌が鮮やかに再現されています。

奥海道棟方板画 人肌雨の柵

奥海道棟方板画 人肌雨の柵
(岩手県西磐井郡平泉町 中尊寺)
昭和48年(1973)
安川電機蔵

「人肌の大日如来」とも呼ばれる中尊寺の秘仏一字金輪(いちじきんりん)坐像を拝んだ棟方は、その美しさのままに作品にしました。版画には、芭蕉が中尊寺金色堂を見て詠んだ「五月雨の降りのこしてや光堂」の句も添えられています。

第3章 棟方志功と安川電機

棟方志功と安川電機の交流を示す資料や作品、そして今も続く安川電機の企業カレンダーにもなった棟方の代表作などをご紹介します。

二菩薩釈迦十大弟子

二菩薩釈迦十大弟子
昭和14年(1939)、昭和23年(1948)改刻、昭和32年(1957)摺
棟方志功記念館蔵

棟方は、東京上野の博物館で奈良・興福寺の十大弟子像のうち、須菩提(しゅぼだい)像を見ました。感動した棟方は2年ほど構想を練ったのち、本作品を制作したといいます。12枚の板木のうち十大弟子は、疎開先の富山・福光に愛用の椅子の梱包材として送られ、戦禍を免れました。東京に残った二菩薩は空襲で焼けたため、改刻されました。
本作品は昭和30年(1955)の第3回サンパウロ・ビエンナーレで最高賞を、翌年のヴェネツィア・ビエンナーレで日本人初の国際版画大賞を受賞しています。

流離抄(りゅうりしょう)

流離抄(りゅうりしょう)
昭和28年(1953)後年摺
棟方志功記念館蔵

本作品は歌人吉井勇の歌を元に制作されたものです。吉井は戦時中、富山県の八尾に疎開しており、同じく富山の福光に疎開していた棟方に親近感を感じていたといいます。本作品は、全31点の作品のうち24点を屏風に仕立てています。
棟方は吉井の歌を口ずさみながら制作を行ったといい、「流離抄板画巻は、板画の楽しさだけでつくったものでした」(『板画の道』)と述べています。

瞞着川(だましがわ)板画巻 ネバネバの柵

瞞着川(だましがわ)板画巻 ネバネバの柵
昭和23年(1948)/ 昭和50年(1975年)摺・彩色
棟方志功記念館蔵

昭和20年(1945)、棟方は東京から富山・福光に疎開しました。福光には河童がおり、人を騙すという伝説のある小川がありました。棟方はこの川に「瞞着川」の字を当て、この伝説を題材に随筆を書き、版画にしました。全39点からなります。
本作品は、昭和50年(1975)病床にあった棟方がこの作品より13点を選び、彩色を加えたものです。また、それぞれに口述筆記での解説を加え、昭和51年(1976)の安川電機カレンダーの原稿としました。この作品が、棟方のまとまった最後の仕事となりました。